私は主に風景画を描く。「風景を写すのではなく、感動を描くものものだ。」と、何度かブログに書いた。
風景画を人物画におきかえたら、「姿を描くだけではない、心情まで描くのだ。」と、いうことになるのだろうか。いつか人物画をしっかり描けるようになりたい。
今、100号の風景画描いている。その中の小さな人物に物語を感じなかった。描き過ぎているのだ。引っかいたり、こすったり、悪あがきせずに素直に色を置くだけにした。りきみがなくなり、存在そのものが、自然になったような気がする。

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風景画を人物画におきかえたら、「姿を描くだけではない、心情まで描くのだ。」と、いうことになるのだろうか。いつか人物画をしっかり描けるようになりたい。
(油彩画F100)部分
私の力量では、そんなつもりはなくても、無意識にそっくりに描いてしまう。姿にとらわれてしまうのだ。囲碁少年を描いて学んだのは、「描き過ぎてはいけない」ということだ。今、100号の風景画描いている。その中の小さな人物に物語を感じなかった。描き過ぎているのだ。引っかいたり、こすったり、悪あがきせずに素直に色を置くだけにした。りきみがなくなり、存在そのものが、自然になったような気がする。

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