母の墓参りに鎌倉霊園に行って来た。母の歳を超えたが、自分は「まだまだ確かだ」。

その歳にならなければ、その時の心持ちは分からない。今にして思うと、私が老いたと思っていた父も母も、「まだまだ」だったのかも知れない。

コロナ以降、人々のお墓に対する意識が変わった。墓じまいをした空き区画が目に付く。再販しているが売れない。墓誌には俗名が増えてきた。
ノシャップ恵山泊F00
ノシャップ恵山泊(F100部分)この作品も他の作品の下地になって現存しない

父と母の戒名は、斎場の頼まれ坊さんに付けてもらった。坊さんが戒名を考える過程は、2度とも、かなり安易で「こんなものなの」という感じがした。

だから、お布施の問題ではなく、自分の戒名くらいは自分で考えておこうと思っていた。
でも、それも必要ない。俗名でいけるなら、その方がずっとといい。

「辞世の句がまだできていないんだ」と云っていた同級生は、とっくの昔にあの世に行った。辞世の句は出来ていたのだろうか。ふと、そんなことが頭に浮かんだ。