地元平塚で丹沢と云うと、丹沢山ではなく、塔ヶ岳までの表尾根の事を指す。暖冬と云われながら、久し振りに雪が降った。
絵になるほどの量ではないが、丹沢にまだ雪が少し残っている。「秦野のめん羊の里に行ってみようか。」ということになった。
途中、秦野の弘法橋を渡った時、妻が「ここ、いいんじゃない」と云った。
5,60年程前に、ここを描いたことがある。当時、私は横浜の独身寮にいた。実家に帰った時、兄のスーパーカブ借り、スケッチポイントを探し、遠く隣町のここまで来た。
一面田圃で、金目川は自然の土手の中をゆるやかに流れていた。今は、護岸で固められ、住宅街を流れる。
兄は、もうこの世にいない。絵は残っていなくても、遠い昔の記憶は残っている。その頃、確かに良い処だった。そんなことを思い出しながら描いた。

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絵になるほどの量ではないが、丹沢にまだ雪が少し残っている。「秦野のめん羊の里に行ってみようか。」ということになった。
途中、秦野の弘法橋を渡った時、妻が「ここ、いいんじゃない」と云った。
弘法橋から 正面の山は二の塔 後ろは塔が岳
5,60年程前に、ここを描いたことがある。当時、私は横浜の独身寮にいた。実家に帰った時、兄のスーパーカブ借り、スケッチポイントを探し、遠く隣町のここまで来た。
一面田圃で、金目川は自然の土手の中をゆるやかに流れていた。今は、護岸で固められ、住宅街を流れる。
兄は、もうこの世にいない。絵は残っていなくても、遠い昔の記憶は残っている。その頃、確かに良い処だった。そんなことを思い出しながら描いた。

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